北島清隆 Phto Gallery

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北島清隆 KIYOTAKA KITAJIMA

1966年7月28日生まれ(スガシカオさんと同じ)。しし座のA型
小型船舶1級操縦士、潜水士、調理師、自動2輪、普通自動車免許取得。
趣味1・マリンスポーツ全般:ウィンドサーフィン・スキューバダイビング・水上スキー・カイトサーフィン、スタンドアップパド ルサーフィン。中でもスタンドアップパドルサーフィンとカイトサーフィンは生活の一部になるくらい大好き。波があるか風が吹いたら海にいってます。
    
趣味2・カクテル:飲むより作ることが好き。パスタ作りも好き。
趣味3・空を眺めること。空と雲と海が大好き。
趣味4・エイサー(群星エイサー隊)というグループで5年くらい続けていた。日出克さんのバックで踊ったことも。



東京都大田区出身。
小学校で野球チームに入り、6年生で主将を務め、大田区で三位入賞を果たす。(ちなみに大田区は東京都でも激戦区。) 中学では野球をやりながらサーフィンも始める。(電車サーファーです。)その後都立高校に入学し週末はサーフィン三昧となる。大学ではウィンドサーフィンがしたくて、ウィンドサーフィン部のある神奈川大学と國學院大學に合格するも、渋谷の大学ということで國學院大學に入学。はれてウィンドサーフィン部に入り、夏は沖縄でインストラクターのアルバイトをしようと思っていたら、お台場でマリンスポーツのインストラクターの派遣会社の人に偶然スカウトされて、その当時まだまったく名前も知られていない、テレビもNHKしか映らない、沖縄本島よりも台湾に近い、その当時は地図にものってないような人口わずか約500名の小浜島という小さな島へいく。1987年20歳夏。


大学2年の夏。小浜島にあるリゾートホテル「はいむるぶし」でマリンスポーツのインストラクターとして派遣され、 東京とはまったく違う、自然とともに、海とともに生きる人々の生活とそこでであったすべてのものに感動し「僕はここで社員となり、海で働き、島で暮らす」と決心し、大学期間中、休みのあいだはほとんど小浜島「はいむるぶし」ですごす。その間、社員になったときに役立てると思い、 小型船舶1級操縦士や潜水士、などの資格をとる。(いまでは調理師免許も取得)写真は父親からもらったキャノンの一眼レフを持参して撮ることは好きだったが記念写真みたいなものがほとんど。逆に雑誌の取材などで自分がインストラクターとしてモデルで映ることがおおかった。(JTAのカレンダーにもヨットで載った事も)


はいむるぶしで社員として働きながら、休みの日にはみんなで海で遊ぶ。そんな生活をしながら、同時にダイビングを始め水中写真にはまる。25才くらいの時かな。このときから少しずつ写真に目覚めた。コンテストなどで入賞等が何度か続きそんな中、バブルもはじけ、はいむるぶしも経費節減が大命題となり、自分でも役にたてればと思い、パンフレットの写真などを天気の悪い日でも高いギャラで内地からカメラマンを呼ぶより、いい場所をしっている自分が撮ったほうがいいのが撮れると思い、ボランティアで会社に貢献。そんな感じで自分の写真のレベルも少しずつあがり?写真を撮るということがとても好きになり、料理の写真なども撮るようになる。写真はすべて独学です。ライティングも本で勉強した。1987年から小浜島に住み、はいむるぶしで働き始めてからの夢はホテルの支配人になることだったが、30才のとき、自分の新しい目標として写真家を夢見るようになり、5年でプロになろうと決心。 その5年の間自分でたてた目標は 写真展の開催。写真集の出版、プロ写真家の公募展であるAPA展かJPS展での入賞。写真家のプロ協会であるAPA日本広告写真家協会かJPS日本写真家協会のメンバーになることを目標にした。


2004年夏。小浜島18年目を迎え、写真家とホテルマンと二つの肩書きで仕事をしていたが、独立を決意し37才のとき、はいむるぶしを円満退職し写真家としての活動を開始。 撮りたい写真は「絵画のような写真」。そして気持ちのいい爽やかな写真。地元に住んでいなければ撮れないような写真、 僕の写真を見てくれた人がその場に吸い込まれバーチャルトリップしてしまうような、また やすらぎを感じてもらえるような写真を撮りつづけていきたいと思っています。
そして、将来の目標はphoto artbookの出版と 石垣島の海の見える場所にいつでも写真を見れるような、ギャラリーを持ちたいと思います。